こんにちは!前のめり(@maenomelife)です。
今回は、私が最近考えているカメラというものについてです。
普段考えていたことをスマホのメモ帳に書き溜めていたものをかき集めたものなので、うまく言語化できているかは微妙なところですが一通り書きたいことが書き終わったので自身の思考を整理するためにまとめてみました。
写真に真剣だからこそカメラは買い換えるもの
みなさんはこれまでたくさんのカメラを買い替えてきましたよね?
分かります。私もそうなので。(笑)
結局カメラ好きは買うんですよ。レンズなんて宝石に見えます。
カメラを買い換えるのは、自身の写真のレベルアップの為に必要な行為です。経験です。
ただ最近は、自分の求める物が量から質に変わってきたなという印象を持っています。
まずカメラは、基本的に持ち出すのは1つです。妥協はありません。
気持ち的にもサイズ的にも、シチュエーションへの対応力や撮りたい絵的視点で一切妥協はありません。
カメラ好きはメイン機材で対応できない環境をカバーする為にサブカメラを持ちがちです。
でも、メインカメラに劣るサブカメラって私は全然使わないんですよね。自分の中でベストだと思ってないので。
それならスマホでいっかみたいな。
レンズも今までの買い方だと、本当にそのレンズが良いのかって言えば、このボディの発色がいいからそれにつけられるレンズは〜とか、この画角が欲しいから安くて評判いいレンズはどれかな〜とか。
どのレンズも間違いなく素晴らしいものだからこそ、本質まで見ずにスペックだけで判断しており、レンズの選び方なんてその程度のものでした。
それでも素晴らしい写真は撮れるし、むしろ評判のいいレンズなので今の私の機材よりも良い写真になります・・・。
レンズの作例だって、個人的には全然参考になりません。だって、見ても分からないから!(笑)
解像感とか立体感とか、発色とか言われても、デジタルカメラと現像次第なとこあるじゃないですか。
どのレンズだって素晴らしい性能を持っているので人を感動させるような素晴らしい写真を撮れます。
私達は、手に馴染む自分にとってのベストの機材を求めて、買い替えの旅を彷徨うことになるのです。
日本メーカーを使ってきたからこそ分かるライカの魅力
私も長年彷徨い、一時期はスマホでいいじゃんという時期も経てカメラをニコンからライカに変えました。
そうすると機材に対する頭の中の考え方がスッキリしました。
カメラはシャッターを切るもの。
レンズは光を集めるもの。
シンプルだからこそ、本質に意識を集中することができるんですよね。
その本質は何かというと、レンズで光を集めてそれをイメージセンサーにぶつけるという事です。
今までのカメラは、覗けば像が写って、光を集めるレンズの位置は自動で合って、シャッターを切ればその像が切り取られるのが当たり前で、光に対する意識は自分では全く無くカメラに依存していました。
しかし、シンプルなライカでは、フォーカスレバーや二重像によってレンズを回しただけ前後に焦点距離が移動するのが分かるし、絞り値とシャッタースピードも自由自在になったことで、光をレンズで集めてセンサーにぶつけるという原理が感覚的に捉えられるようになってきました。
車だって興味がない人はアクセルを踏めば加速して、ステアリングを回せば車が曲がるくらいの認識ですが、自分でバラし始めれば駆動系の仕組みもよく分かって、ギアが変わってエンジン負荷が上がったとか、コーナーでデフが効いてるとか、駆動系の感覚が自分の手足のように分かってきますよね。
カメラと神経が繋がり、魔法の箱から自分の眼に成りました。
これはいきなりライカを買っても自分の知識と経験が少なくて気づくことはできなかっただろうなぁと思います。
眼とカメラの同一性
そうなると気付いてくるのが、カメラ明るすぎだし、写りすぎじゃねってことです。
もちろん、自分の眼になったことで車が自分の足から走る能力を拡張する様に、カメラで肉眼では見えない遠景を鮮明に見る能力を拡張するという考え方もあります。
ただ、私は昔からスナップを撮るのが好きだったので、自身の眼でありのままに見えたものを撮りたいという欲求を持っています。
これも長年色々撮り続けて分かったことです。
私の眼のスペックは視力は0.7程度。
そして色覚異常者で、色を判断する要素が他人に比べて色相・彩度よりコントラストにバイアスがかかっている。眩しいのは苦手。
眼鏡をかけるのは映画を見るときくらいなので、写真もぼやっとしてるくらいの方がいつも通りで落ち着きます。
そして、基本的に低彩度。
男性だと結構こういう眼の人いるみたいなので、個性だと思ってあまり気にしてはいないのですが、やはり他の方とは写真の好き好みが合わないことの方が多い気がしています。
カメラは人間の体に例えれば、網膜はセンサーで、脳が処理エンジン。レンズは瞳の形や、眼球の瞳孔と水晶体です。
こう比較すると、カメラ選びも面白くて。
私がカメラ選びでEVFは違和感あると言っていたのも、視力のせいなんだと気づけました。
近いものはよく見えるので、EVFはカメラという脳を通ってできた、いわゆる眼がいい人の視点だから見えすぎる。
一方のレンジファインダーって、すべての距離感が自分の眼と同じなんですよね。
例えば、なかなか意識した事がある方は少ないかもしれませんが、ガラスに写った自分の像って、その像の位置がガラス面にあるわけじゃなくて、さらに自分とガラスの距離分奥にあるんですよね。
同じ面で像を見ても、眼のピントの場所は全然違っていますし、レフカメラはファインダー側と、レンズの両方で視度調節が入るので結局見えすぎる。
言葉にするのは難しいけど、レンジファインダーって原始的だけどやっぱりすごいなぁと。
そして、もうひとつ。特にレンズは非常に物質的だなぁと思います。
レンズは光を曲げて集めるという物理現象そのものだし、見た目的にもいかにも光を集めてくれそうだし、そしてずっしり重たくて。
そしてレンズは非常に個性が強いのもいいです。
何も知らないうちはスペックとか、メーカーのそれっぽい宣伝文句とか綺麗な作例を見てうんうんと言っていましたが、最近では、レンズ構成を見て光はどのように通っていくのかなとか、ガウスの後ろに1枚追加してるのはこういう意図なのねとか、それぞれのレンズ設計の想いみたいなのを知るのが楽しいです。
だからこそ、非球面とか低分散とか枚数の多いレンズとかで収差をコントロールされ尽くしたレンズよりも、設計も技術も未熟で、癖のあるオールドレンズが楽しくてしょうがないんですよね。
むしろ、肉眼だってピント面はボヤけてるし、コントラストが高い明るいものをみたら滲むし、太陽でめっちゃフレア出るし仲間じゃんって。笑
オールドレンズは色んなことを考えて、脳を使うのが心地いいんです。
そして、表現者へ
写真って何者かという話は、ある程度カメラを好きになると誰しもが考えると思うんです。
ありのままの自分の視点を伝えるのか、他人がはっとする景色を見せるのか、理想的な世界を創りあげるのか。
最近私が気に入っている考え方は、自分視点における光について、よりartfulに集めるということです。
例えばピンボケをポジティブにピントずらしとして使っています。
ピントが合っていないという事は、センサー面において像の光が散っているということです。
写真は見る側にとって、やはり主題となるピント面は重要です。
しかし、ガチピン崇拝主義も無くなり、むしろオールドレンズを通って少し癖がついたその光をより拡大、分散を楽しみたいと思っています。
ほんの少しだけピントをずらせば、光はより散ってくれるので、面白い写真になります。
色んな方の意見を見ていると多分理解してくれるひとは殆どいないと思いますが、これも個性だと思って、自分の好きな写真を探していきたいと思っています。
今の時代、写真は消費コンテンツなので、写真を見るという行為は脳が食事するみたいなものだと思います。
現在写真の上達といえばレタッチ技術が主流ですが、レタッチの先から生まれるものって何だろうって考えると私は調味料、さらに言えば味の素みたいなうまみ調味料のように舌に直接うまいと刺激するものだと認識しています。
一方で私が今撮影している光というものについては、レンズの知識や趣向が合ってないとあまり楽しめません。
それは、子供の時は嫌いだったものが大人になったら美味くなるみたいな。
若鶏ももちろん美味いけど、親鶏のように素材の旨味が噛むほどにでてくるみたいな癖になるものだと思います。
と、いうわけで手元にはライカの曲者三兄弟が揃いました。
どれも、収差の強さからライカの中ではすこし敬遠されているものです。
しかし、視点を変えればどれも噛むほどに旨味が出てくる最高のレンズだと思っています。
今までレンズレビューは、スペックとかどうせ誰も見ないし、作例とか自分で見ても全然分からないのでやってこなかったのですが、最近レンズ愛が止めどなく溢れてくるので、カメラボディだけでなくレンズのレビュー記事も書いていきたいなと思っています。
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