写真の先にあるものを探して。撮り続ける事の難しさに想いを馳せて。

こんにちは!前のめり(@maenomelife)です!

 

時は3月。写真好きには待望の春の訪れですね。

 

今年の東京は、例年よりも半月ほど早く桜が開花し今週末にも見ごろになるそうです。

 

しかし世はコロナウイルスの影響で外出自粛の動きが続いています。

外出が捗らず、写真好きの方は写欲が高まらない辛い春を迎えているかもしれません。

 

今年の桜の季節はそんな少し特殊な雰囲気の中で、満足いく写真が撮れなかったら心がポッキリいってしまいそう。

 

最近、写真に対するモチベーションが上がらないというつぶやきをよく目にします。

 

写真を取り続けるには写真を楽しめばいいというのが真理です。

しかしそれを自然にできているときもあれば、ふとしたことで熱が冷めてしまうこともあります。

 

これまでも何度か書いていますが、私はカメラ歴10年弱ですが、スマホの進化にカメラの優位性を見いだせなくなって一度すべての機材を売り払い、そこから自分が撮りたい写真が分かるようになりました。

そして、その撮りたいものはこれからもアップデートしていくことができます。

 

そんな感じで今回は、写真ってなんだろねっていう独り言です。

 

私の考える写真のリアル

140字の文字より無価値になりつつあるメディア

写真ってはっきり言って、誰でも撮れるんですよね。

 

カメラといえば今はスマホ。

今やスマホは、アフリカの僻地の住人だって、赤ちゃんだって使えます。

 

つまりは、写真は英語よりも普及している世界の共通言語です。

 

SNSについても、例えば電車に乗っているとつい見えてしまう若者のタイムラインを覗いてみると、写真や動画に補足の言葉が一言あるような投稿が秒速で消化されています。

 

例えば、顔の写真を載せて、「髪切った。」って呟くじゃ無いですか。

その写真の価値はその程度だし、付加情報があったとしてもそこに撮影者の意図は無いので薄い情報です。

 

世の中の人は写真をただの言葉としか見ていません。

私達がすごい機材で頑張って写真を撮っても、それが特別なものとして認識されることは殆どありません。

 

カメラは重い

そこにあえて価値を見出して、高価な機材を買って技術を磨いているのが、写真好きな人。

 

しかし、その対価は殆どありません。

 

昔は写真はカメラを持っていかなければ撮れませんでしたが、今はあえてカメラなんて持たずともいつでも決定的瞬間はスマホのカメラで撮れます。

そしてSNSで評価されるのは、大概高価な機材で撮った風景よりも、スマホで撮った決定的瞬間。

 

カメラのメリットはスマホよりも高画質ということくらい。

それも差がかなり縮まってきていますが。

 

スタジオ写真や、結婚式なんかの一度きりの晴れ舞台を綺麗に残したい時は、それは専用機としてのカメラが相応しいでしょう。

役割としての写真の重みが違います。

 

しかし、普段の思い出を残したいという場合はというと難しくなってきます。

確かに綺麗に残すに越したことはありません。

 

しかし写真のクオリティよりも、いつでも瞬間を撮れるメリットとか、そもそも静止画でなく動画の方が相応しい場合(ライカは動画撮れない)とか、そう言った点ではスマホの方が優れています。

 

ましてや、自撮りとか、街で見かけた芸能人を隠し撮りとか、SNSで消化するくらいしか用途のない優先順位の低い被写体は、撮影の容易さとか管理のしやすさとかでカメラの出る幕は無いかもしれません。

 

わざわざカメラを持って写真を撮る意味なんてあるのでしょうか。

そう思うと、カメラの重みは物理的なものでなく、精神的にもずっしりと感じます。

 

成果を求められるとつらい

じゃあ、なんでわざわざ専用機としてのカメラで写真を撮るかといえば、自分の欲求を満たすため

 

他人に喜んで貰うためでは?と考えても、結局は報酬とか喜んでもらいたい欲求を満たしているとか、自分に帰結します。

 

なんの見返りがなくても写真が撮れてる人は幸せです。

 

でも、苦悩している時はきっとそうじゃないんだと思います。

ある程度注目・評価される人に成れば、逆にその成果を求められるということがモチベーションになると思いますが、通常そんな方は一握りです。

 

写真で食っていくことを強いられる人生は、対価の為にシャッターを切る必要があります。

それは時として、自分のしたい表現では満足してもらえないかもしれません。

 

ちょっと前に燃えたフォトスタジオの方のnoteを見ても、写真が好きだったはずなのにそれを本職にしたばかりに、お金のためにシャッターを切る人生を強いられて苦悩している人は少なくないんだろうなぁと。

昔の、カメラ自体が高級品だった時代には、その道だけで名を馳せることができたかもしれませんが、今、自分の写真を撮ってそれが評価されることで対価を得ることができる人は、別のアプローチをする必要があるのかもしれません。

 

きっと、写真+αの個性が。

それはきっと、時代によって変わってくるんだろうなぁと。

 

今分かりやすいのは、SNSでの共感を得られるものがウケるということ。

でもその共感の要因にはその人の個性があって、それが写真の青が綺麗とか分かりやすいものから、思想に共感してもらって信者的な人を増やす手法だって色々あると思います。

 

大事なことは、叩かれようが自信を持って発信していくことなのでしょうか。

他人の成果でなく、自分の個性を拠り所にしていくべきなんだろうと思います。

 

写真の先にあるもの

何小難しいこと考えてんの、と言うのはかんたん。

でも、悩んでる人はたくさんいますし、私もそのひとり。

 

一つ反論をするとすれば、それは向上心があるからこそ悩み考えるんだろうなと。

 

ただ別に写真を撮らなくたって死なないし、撮り続ければ幸せになれるかもわかりません。

やめたかったらやめればいいと思います。

 

幸いカメラはまだ需要があるので高く売れます。

いずれスマホがますます進化すれば、ごく一部のマニアが欲しがる希少品・高級品以外は需要もなくなります。

 

私も2年位、さっぱりと写真を撮るのをやめました。

そして、やっぱり写真やカメラが好きで撮りたいものがあることに気づけました。

そのときに考えていたのが今回のような事でした。

 

別に写真はスマホのカメラで撮ったってなんの問題もありません。

100万円の機材て撮った写真もスマホの写真も同じ写真。

大切なのは、写真をライフワークにすること。そのために100万円の機材が必要なだけ。

 

それは、写真を作品として確立する努力をしてもいいし、何か別の目的の確認の為に写真を撮影するのでもいいし、物理現象を通じて光と対話してもいいし、ひたすら技術を磨いてもいいし、誰かと共有して楽しんでもいいし、楽しみ方は無限大です。

写真は人類の共通言語のようなものであって、それ自体が答えではないのですから。

 

私は写真という共通認識を通じて他の方とコミュニケーションを取るのが好きなので、Twitterでこれからもっともっといろんな方とお話できたらいいなと思っています。

 

ちなみに、今年も、王道的な構図の満足できる桜は撮れませんでした。

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