デジタル世代から見たフィルムカメラの存在意義

私は2019年、令和の年にして初めてフィルムカメラを手に取りました。

しかし、今の時代フィルムカメラは完全に趣味の中でもマニアックな部類になっています。

 

正直、外でフィルムで写真を撮ってる人なんてここ一年でひとりくらいしか見かけたことがありません。

むしろ、希少種のライカを持っている人の方が何人も見かけるので、フィルムカメラユーザーは相当少ないんだろうなぁ、、と。

 

というのも、私は特にフィルムで写真が取りたかったわけでなく、使いたかったカメラがフィルムだった。。というのが正直なところ。

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しかし、写真、カメラが好きな方の中にはフィルムを悪く言う人はいませんし、一定数のフィルムカメラユーザーがいるのも事実です。

まだ、使い始めたばかりのペーペーですが、今回はそんなフィルムカメラを使ってみて感じたことを書いていきたいと思います。

 

Contents

フィルムカメラのネガティブなところ

良いところを語る上で、まずは現状を整理したいと思います。

フィルムカメラが衰退したのは事実であり、それはデジタルカメラと比較し何かが劣っているからに他なりません。

高価で手間がかかる

最初に書いちゃいますがこれが一番大きい。

 

昔は安かった・・というわけではなく昔からフィルムは高価なものだそうですが、デジタルカメラがフィルムという物理的制約を破壊したことにより、現像という手間も無くなりました。

日本にはコダックと並び世界のフィルムメーカー二台巨塔の富士フイルムがありますが、ここ数年で多くのモデルが生産終了になっています。

 

富士フイルムではモノクロも1種類しかないし、使いやすいはずのISO1600のフィルムは既に生産終了。

ISO400もベストセラーの廉価モデルも無くなり、高価なモデルだけになっています。

 

数が撮れない

フィルムは回数試行ができず、その場で確認ができないので振り返りが難しいです。

何事も試行回数がものをいうことが多いです。精神と時の部屋で修行した悟空が敵に勝ったり、AIがひたすら自己学習を繰り返してプロ棋士に囲碁で勝ったり。

 

そのため、カメラの腕を磨くのであればデジタルで数をこなして腕を磨くべきなのは、誰もが認めるところだと思います。

シーンを逃さないという意味では、今なんて1秒に60フレームで動画を撮影して、そこからキャプチャするのが割と普通ですからね。

iPhoneLive Photoとかはまさにこれです。

 

表現の確実性

デジタルは撮影された画像の露出がその場で確認でき、気に入らなければまた撮ればいいだけです。

 

しかし、フィルムではそれができない偶発的な要素が少なからずを占めています。

特に古いレンズにおいてはゴーストやフレアは事前に見抜きずらく、デジタルでレンズの癖を手玉にしてからフィルムに移行するというプロセスが必要だと思います。

 

最近は若い人の間でフィルムカメラが流行ってきているという話もありますが、フィルムの取り扱いが新鮮だというだけで、実際はデジタル化してインスタにあげるのがゴールです。

偶発性さはひとつメリットになりますが、それは液晶のないデジタルライカもあるし、いまやどのアプリにも付いているフィルター機能で簡単にフィルムっぽい写真が作れます。

 

今の時代ではフィジカルなフィルム写真を、フィジカルな状態で見る事はほぼないと思います。

結局出口は画素に変換されたデジタルです。

それなら最初からデジタルでもよくね?ってなります。

 

フィルムカメラのいいところ

吐くもの全て吐き出したので、ここからはフィルムの良いところを挙げていきたいと思います。

巻き上げレバーが良い。

すみません、直接的にフィルムには関係ないんですけど、フィルムカメラを使わないと巻き上げレバーは付いてきませんので。

 

すべての機種に言えるわけではないんですが、フィルム巻取りが手動のカメラはそれだけでメリットだと思います。

とにかくカメラのメカ感を感じられる巻き心地が最高に気持ちいい。撮ってるぜー!って感覚は巻き上げにアリ。

 

シャッターを切る儀式として存在する巻き上げという行為はデジタルにはありません。

デジタルでは際限なくシャッターを切りがちですが、フィルムは巻き上げの動作が入ることで、気持ちを抑えて冷静に被写体と向き合えるようになる自分がいることに気づきました。

他人からみても、シャッターを切る度に巻き上げレバーを巻く動作をしてたら、「おっ」ってなりますよね。

 

センサーが変えられる

フィルムカメラのイメージセンサーは勿論フィルムです。

フィルムによって結構発色が違うので、自由に使い分けられるのが大きなメリットです。

デジタルカメラは機種を変えない限り、基本的に色合いは変わりません。

同じコダックのフィルムでも鮮やかだったり、おとなしめだったり。

 

メーカーの差もあります。

そういった微妙な差を使いこなしていくのもフィルムカメラの魅力ではないでしょうか。

現像していない白黒フィルムもあるので、そちらもすごく楽しみです。

 

デジタルとは異なる表現性

私自身、遠足とかに持ち出していた写ルンですなんかを除けばデジタルからカメラを始めた人間ですから、フィルムらしい写真というものはよくわかります。

 

デジタルとフィルムの仕組みの話をすると長くなってしまいますので省略しますが、デジタルもアナログも結局は原子の集合体であって、それが、デジタルではピクセル、フィルムは銀分子で表現されているだけです。

 

しかし、そのきめ細やかさは次元が異なります。(デジタル値とアナログ値だから当然だけれど)

 

デジタルカメラでは1億画素に迫る技術の進歩を遂げていますが、フィルムでは、画素数で言えば理論上最大で1京画素にもなるそうです。(35mmフィルムに敷き詰められる銀分子の最大値)

ゼロが8ケタ違います。

とはいえ、フィルムも粒状性とあるように粒子の粗さの限界は割とすぐに訪れるので、実際で言えばデジタルの方が高精細であるわけですが。どんなに解像度を増やせどデジタルはその閾値がゼロイチのビットでマウスホイールをくるくるすればすぐ見られるわけですが、アナログではその粒子の境目も非常に曖昧になるので、インクジェットではなくて化学処理で焼かれているフィルムであればその境目を観測するのは非常に困難と言えます。

 

色も、8bit,16bitと規格がありますが、デジタルは結局は近似値の色に変換しており、階調性には限度があります。

人間の目って優秀で、解像感もそうですし、自然現象で生まれた色とデジタルの色の違いを直感的に見分けることができるんですよね。

 

フィルムの良さ、フィルムらしさ

個人的には巻き上げレバーが大事ですが、フィルムカメラの魅力はやはりフィルムのその描画にありそうです。

しかし、それは、フィルムが優れているというわけではありません。

 

デジカメの画像エンジンも日進月歩で、色再現とか、解像感とかもうアナログでは遠く及ばない世界まで再現できるようになりますた。

 

しかしフィルム毎の色の出方の違いとエンジンの違いは同じ次元の話と言ってもいいと思います。

デジカメの方が少し大袈裟な絵がでてくることが多いですが、しかし、今は現実以上にハイコントラストだったり偏った色に加工された絵が好まれています。

 

曇り空を青空に加工してしまうアプリもあるくらいです。でも今はそれも写真です。

 

自分の解釈を書きます。

デジタルカメラは自分がこうであってほしいという描画です。抽象的な表現をすれば、絵に近い感じです。

 

センサーが光をデジタル画像として認識するA/D変換でどうしてもそういうプロセスを踏まなければなりません。

つまりは、とあるメーカーのように映像エンジンも人肌がキレイに映るとか、人の目に見えていない色で表現しているのがデジタルカメラです。

 

一方でフィルムが写すものはフィルム設計こそありますけれどナチュラルコンピューテーションで係数を通ってそのまま出てきます。フィルムカメラで撮った写真には物質性をより強く感じることがわかりました。

 

フィルムで撮った写真を見て懐かしいというのは、自分の目でみた景色を写真からその過去の現実として認識できるからかもしれませんね。

 

でも、難しいのが、デジタル画像に見慣れた私達は、デジタル画像もまた、もうひとつの現実として違和感なく受け入れることができるということです。

例えば、私が使っていたNikonのDfというカメラは、見た目はノスタルジーなのですが、出てくる絵はとても綺麗で新しいものでした。

そして、それをLightroomで強めに色味をいじって現像してました。

 

しかし、CCDという一昔前のセンサーを搭載したLeica M-Eというカメラは、CCDとは違うノイズのざらつき感とか、ウェット感のある色とか、たまに変な色が出るところとかそういった所にノスタルジーを感じていました。

M-Eに変えてからは1枚もまともに現像はせず、全て撮って出しでした。

 

それは今のデジタルでもフィルムでもない一つの個性として確立していました。

つまるところは、フィルムの写りは現代においてはひとつの個性がないのが個性のようなもので、どちらが優れているとまでは言い難いですが、写真の現実っぽさはデジタルには出せない魅力なんだろうと思います。

 

それもデジタルが進歩していくとほんとに差がなくなっていくんだろうと思います。

しかし、フィルムに焼き付けた写真というのはその行為そのものに温かみがあると感じ、価値が生まれています。

それは、気軽すぎるデジタルとは全く異なるプロセスで生まれてくるものだからです。

 

ホワイトボートに書かれた文字を撮影するのはスマホが最適です。

戦闘機やF1の写真を撮るにはコマ数が多いほど有利となるので、一眼レフやミラーレスが最適です。

同じように、自分の写真に収めたいと思った景色をありのままに残すにはフィルムが最適な可能性が高い。

なので、自分がその時その時で使いたいものを使うのが良いんだと思います。

 

フィルムカメラのメリットは初期投資費のやすさですから、私のように体感したことが無い方はぜひ一度使ってみてはいいのではないでしょうか。

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コメント

コメント一覧 (7件)

  • フィルムがどんなに優れていても結局スキャンしてデジタル化され、出力されてる現状で何がアナログやねんって思いますけどね。

    • コメントありがとうございます。
      確かにゼロイチの世界に変換されず紙としてアウトプットされた写真が素晴らしいのは異論はありません。
      ただフィジカルの面白さって、デジタルでは演算で近似できても同じものは作れないところにあると思っています。
      それがデジタルのアウトプットとして出てくる画像の要素として加わる事が面白いのだと思います。
      それは、よくあるフィルター機能とは次元の異なる話です。

      オーディオでもレコードではなくハイレゾ音源にしてしまえば、いくら真空管アンプを使おうが同じ事が言えます。

      原点主義も重要ですが、フィジカルの自然の摂理に従った表現力と、デジタルの可用性をうまくいいとこ取りしてあげるのが今のフィジカルの主たる使い方だと思います。

      フィジカルは偶発的外乱も含めデジタル演算とは異なる結果を吐き出しますから、たとえそれがその後デジタル変換したところで、フィジカルの優位性が消えることは無いと考えます。

      • 改めて拝読しましたが、憂いているのは、SNS前提でフィルムで撮る方たちにでしょうか(>_<) 一方では使う方がいないとフィルムが廃れてしまう事実もあり難しいところですが、表現の手段の一つとして、どちらも使えるようになるのがいいのだと感じました。

  • ふらっとやって来てうんうんと思いながら読ませていただきました。私もデジもフィルムも使います。旅行やイベント、記念等で出来上がる写真が大事な時はデジを使い、写真を撮る事を楽しみたい時はフィルムを使います。フィルムだと撮影という行為が面倒でお金かかって失敗もする、けどそれを楽しんでるんです。写真という結果はそれほど重視してません…スポーツで勝つとわかってる相手と試合してもつまんないのとちょっと似てます。ちょっと格上の相手と試合している時が楽しいんです、こういう時は勝ち負けにはあまりこだわりませんし…
    撮影という行為を楽しむのであれば少々難関な方がやってて楽しいんですね。Mなのかぁ…

    • 呟きみたいな記事をお読みいただきありがとうございます。
      おっしゃる通りだと思います。
      あまり大きな声では言えませんが、最近のカメラは高感度耐性が強くて、デジタルの色付けもライカをはじめフジやシグマのようにアーティスティックに振っており、正直誰でもはっとするような素晴らしい写真が撮れると思います。
      しかし、そこから生まれたのはあくまで撮らされた写真であって、フィルム選びから偶発性をいかにコントロールするかを考えながら行う撮影を経て作り出す写真は、撮影者の意志の篭り方が全く違うと思います。
      私も写真に関してはドMなのかもしれません。笑
      少なくとも、感性は他の方とは少し違うみたいです。。
      共感いただけてとても嬉しかったです。ありがとうございました。

  • 最近になってフィルムカメラを使い始めました。

    家人からも
    ・フィルムの扱いが面倒
    ・露出もピントも手動で面倒
    ・現像するまでちゃんと撮れたかわからない
    ・SNSに載せるのにも手間がすごい
    →それなのにどうして? と問われ、「今言ったこと全部が、フィルムカメラを選ぶ理由だと思う」と答え、さらに「?????」とさせてしまいました。

    フィルムは確かに面倒臭いし、撮った写真をその場でインスタに投稿、なんて真似も出来ません。
    今はもう、『写真を撮ってみんなに見てもらう』という行為は、時間的にも金銭的にも、そして精神的にも体力的にも低コストで実現できます。
    指一本動かせば、ほぼ無料で、さらに一瞬で実現出来ます。加工もほぼ原型をとどめないレベルのものが、スマホだけで完結させられます。

    そこに敢えて、膨大なコストをかけて、じっくり楽しむというのは実に贅沢な行為です。
    『カップヌードルを3分で作れるのに、敢えて手打ち蕎麦を食べに本場まで出かける』という道楽に似ているかと思います

    普段IT業で最新のスマホやPCなどのデバイスを扱っていると、フとした拍子に「電気がなくても動く機械」が途轍もなく魅力的なモノに見える事があります。
    今がまさにその状態で、日記をタイプライターで書き、趣味のハンドメイドでは手回しミシンを使うと言った有様です。

    デジタルに疲れ果てた層には、電池などなくても写真を撮れる、じっくり時間をかけて、ゆっくり楽しめるという贅沢が魅力的に映るのかもしれません。
    今の僕はそうです。

    • コメント頂きありがとうございます。
      まさに、原点回帰というか無駄を楽しむような点があると思います。
      当然デジタルも使っていく中で、どこかローテクで本質的な心安らぐ場所を求めてしまうのかもしれませんね。

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