※この記事はあくまで私の主観なので、まぁそんな意見もあるよね、くらいの軽い気持ちでお付き合い頂ければと思います。
こんにちは!前のめり(@maenomelife)です!
最近Twitterで話題になっていたのがフィルムカメラにAPO-SUMMICRONを組み合わせた写真で、これがとても素晴らしかった。
APO-SUMMICRONは、ライカM型用レンズの中でも特に高価で描写力の高いレンズです。
うーん。こんな話他にもあったな、と考えて思い出したのは、以前書いたオーディオの話でした。
要はオーディオの機器の相性を考えたときに高価で性能の高いものだけで揃えるよりも、
「適所で適度にスペックを落としてあげた方が音質が向上する」
という事です。
ここでポイントなのは落とすのは性能であって、質ではないという事。
写真にも音楽と同じで「凄い」写真と「心地よい」写真があると思いますが、キラキラビル群だったり、スポーツやレーシングカー、鳥類等の三脚を使って撮るようないわゆる「凄い写真」。
あの写真は、カメラの性能が高いほど良い写真が撮れます。
しかし「心地よい写真」は必ずしもそうじゃないんだろうと思います。
よくノスタルジーとかエモいとかウェット感とか表現されたりする部類の写真ですね。
解像度は程々が心地よい人種も多いのではないかと思うこの頃。そんな話です。
画質って何者なんだろう
面白いのは、「音質」って音の解像度とか階調とかそんなのは基準じゃなくて、とにかく「人間の耳から聞いてどれだけ良いと感じるか」という定義なんですよね。
では、写真の画質はどうなのかな、と辞書を見てみると、
画質:(写真やテレビなどの)画像の見た目の質。
とあります。
つまり画質も音質も解像度とかそういう一定の基準が存在するわけではなく、最終的に私たちが感じ取る印象に委ねられているわけですね。
なるほど、では画質の良い写真は性能で決まらないのであれば高価な機材なんていらないのでは?
と考える方もいるかと思いますが、私は必ずしもそうではないと感じます。
この質とは、写真でいえば画づくり、オーディオでいえば音づくりそのものの事であって、各社各モデルによってその方向性は様々にあります。
更に言えば、質の高いものというのはそれぞれのメインの質(本質)に加えて別の要素においても高い質を提供していると考えます。
写真であれば、カメラを触れた質感、各操作部の音の質感、デザイン。
オーディオであれば、主には素材やデザインによる質感。
流石に食べ物ではないので味や匂いは拘っていませんが、これらを五感として総合的に感じる事で、使い手にとっては総合的な質が更に高まるのではないでしょうか。
この本質と、付随する質を高めるには当然高価なものになります。
というよりは本質を高めると、自然に付随する質も高まると思います。
金をかけて作れば高性能になって、適当に作れば丁度いい性能になるわけでは無くて、高いものはこだわって作られているので「質が高い」可能性が高いと思います。
写真の質を変える機材
まず絶対条件としては、現実の景色が何よりも解像度が大きくて、階調も豊かで美しいということです。
基本的には写真の大部分を占めるのはボディ側です。
ボディが作るのは写真そのもので、受けた光を処理するセンサー(フィルム)性能とエンジン、ピクチャーコントロールによる色の付け方が、写真に大きな印象づけをしています。
モノクロは最たる例で、その他にもフジフィルムやシグマ、私の使うライカのカメラなんかも、言ってしまえば実際に目でみる景色とは少し異なった個性のある色を作っています。
しかし、ある意味で言えば、ボディのメーカーや種類は交換レンズの数に比べればバリエーションは遥かに少なく、ボディをとっかえひっかえする人はそういないと思います。
ボディはメーカー毎の個性はありますが、写真でいえば基準であって画一的です。
私であればほぼすべての写真はLEICA M9で撮られたものです。
ボディだけでは質の高い写真は生まれません。
レンズの魅力は現実を単調にではなく、写実的な味を加えて切り取ることができるという点です。
この味こそが写真の旨味であって、個性です。
この点はニコンも言っています。
私があえて収差の大きいレンズを好むのも、拡大解釈気味ではありますがこの理由です。
例えばですけど、私は点光源からなるフレアが好きです。
これは、ピントが合っていても光が広がるため、ボケとは違うのでソフト演算では出せません。
このようなサジタルコマフレアは、嫌われるものですが、私は写真がより抽象的になる素晴らしい要素だと思います。
レンズは光溢れたこの世界の現実の一部を切り出す装置で、レンズが写真の描写を決めます。
質の高いレンズは、立体感とかボケの滑らかさとか歪みの違和感が無いなど、様々な要素がありますが、シャープネスや収差は年代が古いものほど劣ります。
しかし、この劣っている部分が心地よさにいい影響を与えるのではないかとも考えています。
試しに下記の3パターンの写真を比べてみます。
- デジカメと新しい設計のレンズで撮った写真
- デジカメと古い設計のレンズで撮った写真
- フィルムと古い設計の写真で撮った写真
まずは1つめのデジカメと新しいレンズのものから。
太陽を真正面に入れてもコントラストの低下が殆どありません。
コントラストが低下しているのではないか、と思われる方もいるかと思いますが違います。上海の空気が淀んでいるだけです。
机の木のや縁、濡れた水の質感までリアリティに再現されています。
次に2番目のデジカメでオールドレンズです。
先程のズミクロンと比べて明らかに解像度が落ちています。
細かいディティールは新しいものには劣っていますが、雰囲気はしっかり写せています。
ハイライトは滲んで、ピント面でもかなりゆるゆるです。
でも気張らず見られて、見てて疲れない感じありませんか?
最後にフィルムで古いレンズを
本当はフィルムで新しいレンズのものも比べたかったんですけど、試したことがないのですみません…
現行なので古いレンズかは微妙ですが、レンズ構成は80年も前からある非常に古いものです。
コーティングがある分コントラストは破綻していないのと、緻密な粒状性に定評のあるACROS100なので雰囲気がしっかり写っています。
こちらはあまり角がない感じで、見てて心地よさを感じます。
しかし、カラーネガのように粒状性が荒くなってきたところにオールドレンズを使うと、立体感とか細かい雰囲気もあまり再現できていない気がします。
こういう作風も当然悪くはないのですが、ここまで崩してしまうと少しのっぺりしすぎかなぁ。
あくまで参考ですが、解像度による画質の推移は個人的にはこのように感じます。
私のカメラLEICA M9はデジタルでも一昔前に主流だったCCDが用いられており、どちらかといえばフィルム寄りの心地よさを兼ね備えているものです。
これが最新のカメラだと、もう少し鋭くなってくると思います。
最新のレンズ・カメラでとにかく忠実に光を切り取ってあとから現像で解像感や色を心地よく持っていっても良いし、私のように古いセンサーや、収差の大きい古いレンズではじめから崩して撮っても良いと思います。
ちょうどいいは人それぞれ
私が普段機材を選ぶときに写真どれくらいの粒度・再現性で形に留めたいのかという視点を持って、その日持ち出す機材を選んでいます。
フィルムはモノとして存在する感覚がある、質量を感じると言われますし、そのとおりだと思います。
しかし、最近の私はデジタルのゼロイチな写真もフィルムのフィジカルな写真も大差なくて、記録する粒度が違う位の認識になってきました。
デジタルもVRの中では持つことができるし、プリントすれば生身の身体でも触覚を得ることができます。
写真も既にビデオに取って代わられて、いい感じに古臭さが出てきたんだと思います。
角まできっちり解像した写実的な写真よりも、ディティールが曖昧だったり、色が淡かったり、収差が残ってたり、ちょっと崩したくらいの方が心地良い写真になるけども、崩しすぎても良くなくてそこは本当に個人の主観。
私だったら、きっちり撮りたい時はデジタルとライカの新しいレンズ。
普段遣いならデジタル若しくは粒状性の細かいフィルムにオールドレンズの組み合わせがちょうど良いです。
機材の組み合わせを考える時はこういう視点で見てみても面白いのではないでしょうか。
適切な表現ではないかもしれませんが、端的に言えば「粒度の細かい良質なもの+粒度の粗い良質なもの」の組み合わせが人間には丁度良い心地よさを得ることができるのではないかという話・・・
と結論づけたいのですがこれはあくまで私の感想。
結局の所、高画質の写真つまりは「良い写真というのは人それぞれ」という身も蓋もない話でした。
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